Vol.066 — あなたの顧客名簿には、すでに値札がついている ― グーグルが買った「倒産した航空会社の受信箱」

掲載日: 2026-08-18 | ニュースレター


概要

Vol.066は、AI導入の連載を一度離れ、「人のデータは、いくらなのか」を問う回である。今月、ニューヨークの破産裁判所が、破綻したSpirit Airlinesに残されたものを競売にかけた。機体ではない。書類のほうだ。1億通のメール、5億件のMicrosoft Teamsの記録、3,000万件の顧客電話の録音、76万3,000件の運航記録——合わせておよそ7億1,500万件。落札したのはグーグルで、金額は1,000万ドル。1件あたり約1.4セントである。用途も明言している。AIの学習だ。しかもこれは競り合いだった。次点はMercor、750万ドル——AI企業に学習データを供給することを本業とする会社である。破綻した格安航空会社の書類棚に、本気の買い手が二社。市場は実在し、しかも厚みがある。そこから西田は、人間ひとりの値段の梯子を組み立てる。アメリカの破産裁判官と、日本で正規に登録された名簿屋が、示し合わせもせず、識別された個人一人をおよそ10セントに置いた。価格は、データの中身ではなく、買い手の目的で決まる。数えるだけなら1セント未満。届けたいなら10〜50セント。なりすますなら数十ドル。搾り取り続けるなら年間約67ドル——Metaが開示した四半期売上と日次利用者数を、西田自身が割った数字だ。そして人は、生きているより死んでいるほうが高い。故人の記録は1件300円。Spirit社の記録が売り物になったのも、会社が死んだからである。いずれにせよ、その金があなたに向かって動くことはない。仕組み自体は26年前からある。2000年のToysmart破綻のあと、企業がやめたのは「データを売ること」ではなく、「プライバシーポリシーに破産時売却を書いておかないこと」だった。25年後、その一文があるおかげで23andMeのゲノムはRegeneronへ2億5,600万ドル、一人あたり約17ドルで渡った。Spiritは同じ配管に、DNAの代わりに社内メールを流しただけだ。グーグルが費用を負担する第三者の匿名化事業者と裁判所任命のオンブズマンが付いてはいるが、客室乗務員組合は従業員17万6,000件の記録を巡って異議を申し立てている。一方の日本は、2026年の個人情報保護法改正で正面の扉を開けにいく。統計・AI開発の例外として、AI学習目的なら本人同意を不要とする規定である。経営者にとっての結論は、身も蓋もない。あなたの顧客名簿は、売るつもりがあろうとなかろうと、すでにこの市場の中にある。その一文は、おそらくあなた自身のポリシーにも入っている。そして危険が最も高まるのは、事業が順調なときではなく、あなたがもう守れなくなった瞬間である。Do it simple. 自社のプライバシーポリシーを開き、破産・M&Aの条項を探し、「自分がいなくなった日に、顧客のデータをどう扱ってほしいか」を、いま決めておくこと。